カテゴリー別アーカイブ: 学術一般

「東大が軍事研究解禁・・・」の報道について

2015年1月16日産経新聞朝刊の第一面に掲載された記事に驚きました。sankei.comのオンラインニュースにも出ています。そこには、

 東大は昭和34年、42年の評議会で「軍事研究はもちろん、軍事研究として疑われるものも行わない」方針を確認し、全学部で軍事研究を禁じた。さらに東大と東大職員組合が44年、軍事研究と軍からの援助禁止で合意するなど軍事忌避の体質が続いてきた。

ところが、昨年12月に大学院の情報理工学系研究科のガイドラインを改訂し、「軍事・平和利用の両義性を深く意識し、研究を進める」と明記。軍民両用(デュアルユース)技術研究を容認した。ただ、「成果が非公開となる機密性の高い軍事研究は行わない」と歯止めもかけた。以前は「一切の例外なく、軍事研究を禁止する」としていた。

とあります。

情報理工学系研究科に4年近く前まで在籍した者にとってはまったく意外なことでした。2004年の国立大学法人化のときに研究科長を3年間務め、法人化に伴う国立大学の変化も見た者が、4年前に離れてその後は足を踏み入れないできた組織で何が起こっているのかと関心を持たざるを得ません。

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日本学術会議のあり方の見直しについて

このところ、日本学術会議のことについて意見を述べることが多くなっています。
すでに書いてきたことですが、この9月末で11年間務めた会員の任期を終えました。しかし、今後の日本学術会議のあり方には深く関心を持っています。一般の方々にはその背景の説明が必要かもしれません。制度的には、2004年(平成16年)の日本学術会議法の改正によって新たな「新生学術会議」として翌年に第20期が始まり、この9月に3年を期とする9年が経ったところですが、この法改正に伴って「10年後に日本学術会議のあり方を見直す」とされていることが学術界にとっての大きな課題だということです。科学者84万人を代表して社会に学術の責任を果たす組織として、日本学術会議のあり方があらためて見直されるわけです。

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日本学術会議の今後について

一月前に「日本学術会議の運営について」の記事を書きました。そこでは、今年の10月から始まる第23期の運営体制のあり方について、とくに、会長選挙等の 「透明性」の確保が必要だと述べました。実際、10月1日には、会長選挙によって、前期からの大西隆氏が再任されました。一般の方々にも学術会議を理解していただけるように、第23期会員の方々には、「10年目の見直し」に向けて、以下のような課題も認識して活動を進めていただきたいと思います。

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日本学術会議の運営のあり方について

日本学術会議の会員として11年務めてきましたが、今月末で任期を終えることになります。日本学術会議は1949年に設置され、これまでにいくどかの制度的な変更がありました。最近では、2005年にそれまでとは違った方式で会員を選出するなどの改革が行われ、10年後の2015年にそれが評価されることになっています。
一会員として、現在の日本学術会議の運営のことを関係の方々にお伝えしたいと思います。会員としての活動については別の機会に報告したいと考えています。

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論文査読の陥穽

研究論文はピアレビューによってその質が保証されるというのが一般的です。しかし、驚くべきことが起きていました。

SAGE社の出版する雑誌で60本の論文撤回 1人の著者が複数の別名を使って自分の投稿論文を自分で査読

内容がどうのこうのとことではなく、査読をごまかしたというわけです。最近は、投稿論文の査読をオンラインで行うことが多いことから、起きたことだということでしょうか。SAGE社は more than 700 journals and over 800 books を刊行しているとのことです。論文誌ごとに査読者候補のリストを作っているでしょうから、そこに、たくさん偽名で登録をしておいて、自らの論文を「査読」したということでしょう。

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学術界における「抵抗的意見」とは?

ある学術的な組織のある委員会の委員長が審議の経過を報告した公開文書に、

・・・にあたり、それがやや革新的であったためか、多くの抵抗的意見が○○○○○○の中で出された。しかし、本委員会委員の方々の真摯な議論と積極的な支持により、すべてを乗り越えることができた。

との表現を見て、これが科学者コミュニティで議論した総括だというのは、あまりにも残念な気持ちになりました。なにか、最初から決まっていることを結論づけるために、形式的に議論したというだけのことだったのでしょうか。

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学術界はこれまでの研究不正や業績誇称で何を学んだのか?

2010年のアニリール・セルカンに関わる研究不正のことでわれわれは何を学んだのでしょうか?最近のSTAP細胞論文のことで思い出します。

4年前に記事「知を窃(ぬす)んで地に落とす」を書きました。この「セルカン事件」では、東京大学に対する申立に対して、大学による調査委員会によって当人の学位論文に大量の剽窃等のあることが確認されて、東京大学創立以来、初めての学位取消が行われました。また、当該研究科において学位審査に関わった教員の処分とともに、再発防止策がとられたということです。しかし、この事件はこうした狭義の「研究不正」ということだけではありませんでした。

調査委員会の報告によれば、平成18年度科学研究費補助金実績報告書に掲載された研究業績の論文一覧に記載された25編の論文の内、20編の存在が確認できなかったとあります。また、当時、インターネット上では経歴上の疑念も数多く指摘されていました。論文中の剽窃や業績論文の偽装については、現在、STAP細胞の件で問題点の指摘をしている匿名の11jigen氏によるものも多かったと記憶しています。

この事件では、論文の捏造や剽窃といった「研究不正」に加えて、このような業績誇称や経歴詐称によって、東京大学大学院工学系研究科助教の職に就いていたという問題があったのです。もちろん、これは教員を採用するという人事に係る組織の問題点であるということですが、「研究不正」にはこのようなことも同時に起こりえるといえるでしょう。むしろ、自らの能力を過大に見せて学術界での評価を高めようとして、論文の捏造に手を染めたり、業績を誇称したりするのではないでしょうか。

上に触れたように、最近の研究論文に関する不正の指摘についても、4年前にセルカン事件で目の当たりにした集合知による論文の検証が大きな役割を果たしています。研究者個人を貶めるのが目的ではないでしょう。すべてがそうだとはいえないでしょうが、科学に対する研究者の奢りを戒めるものだと捉えることができるのではないでしょうか。われわれはこうして行われる学術成果への検証(といってよいのかどうか?)のあることを学びました。

その一方で、科学者の言動については、何を学んだのでしょうか。最近、科学者から話題となっている研究者に厳しい指摘や叱責がなされています。学術界を代表するという立場からでしょうが、科学者としての自らの学術上の業績やそれに関わる自らの行動に責任を果たした上でなければ、学術界が空虚なメッセージを社会に伝えることになってしまいます。学術界で、業績誇称や経歴詐称によって「研究者」を作り出していた反省はどうなのかということです。「1,000件もの学術論文(scientific paper)を公表したというのは誇称ではないか」と問われて、「雑誌に寄稿したものも専門的に書いているのでおかしくない」と強弁する「科学者」が、論文の内容に関わる不正の疑念に対して何かを言っても、社会は離れるだけでしょう。8ヶ月ほど前に「科学者倫理に思うこと」を書いてからも、「研究不正」や「学術不正」に関わることを考えることが多くなりました。

「研究不正」ということで、論文の捏造や剽窃、また、研究費の不正使用が指摘されますが、われわれはその根底にある業績の誇称や経歴の詐称といった、科学者個人の「誠実さ」に反する行為にも目を向ける必要があると思います。