学術界における「抵抗的意見」とは?

ある学術的な組織のある委員会の委員長が審議の経過を報告した公開文書に、

・・・にあたり、それがやや革新的であったためか、多くの抵抗的意見が○○○○○○の中で出された。しかし、本委員会委員の方々の真摯な議論と積極的な支持により、すべてを乗り越えることができた。

との表現を見て、これが科学者コミュニティで議論した総括だというのは、あまりにも残念な気持ちになりました。なにか、最初から決まっていることを結論づけるために、形式的に議論したというだけのことだったのでしょうか。

学術においては、常に(自らの見方や考え方にも)中立的で批判的な態度は欠かせないでしょう。しかし、委員長自らの考え方や方針に反する意見を「抵抗的意見」として扱っていたというのでは、意見を述べた人たちは「持論に抵抗していた」といわれていることになります。「批判的意見」というのはまだ分かります。しかも、それらは「乗り越える」ものではないでしょう。

最近の学術界には、こうした権力志向の強い科学者がいるということでしょう。また、組織や委員会の「長」の立場で、自らの役割を勘違いして、「どうせ分からないだろう」とか、「周りは無関心だから」と、なにかと、粉飾して自らの実績を誇張することも見聞きするところです。

以前にも書きましたが、学術界の退廃はなにも「研究不正」だけではないのです。

自律的な学術公正性の確保に向けて(追記)

自律的な学術公正性の確保に向けて

自浄作用が働かないのは、「分かっても無関心でいるのを好む」習性がはびこっていることによるのかも知れません。自らに正直に行動したいものです。

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