科学者倫理に思うこと

このところ、「科学者倫理」や「研究不正」のことについて考えることが多くなっています。前回には、「生涯論文数」についてと題して、関連する記事を書きました。

折しも、それはまったく意外でしたが、8月6日に日本学術会議の大西隆会長から会員・連携会員に向けて、「英文プロフィールについて」というメッセージが送られてきました。

日本学術会議の英文ホームページにある Profile of Prof. Onishi のファイル内のプロフィールのなかの記述を、以下のように修正したということでした。

having been publishing more than 1,000 scientific papers and books.

とあるのは、

having been publishing more than 1,000 scientific works, including about 100 refereed papers, 540 other papers, 35 books and 330 presentation materials of his lectures during nearly 40 years of his research career.

だということです。”1,000 research papers” というのは、いくつかの履歴書から合わせた大括りなものだったそうです。「そもそも、短いプロフィールに数だけを掲載することにどれほどの意味があるか疑問です」ということで、現在は、新たなものになっています。

以前からこうした英文プロフィールが公開されていたということですから、4月初めまで大西会長のもとで副会長を務めた者として、気づかなかったとはいえ、責任の一端を感じています。”1,000 scientific papers” がどういう「論文」を指すのか、”1,000 scientific works” というのがここに示された内容を表現する適切な表現であるのかどうかは、私には分かりません。しかし、率直な気持ちとして、日本の科学者を代表する日本学術会議の長のこうした情報が国際的にどう理解されたのかという危惧は残ります。

7月23日の日本学術会議の会長談話「科学研究における不正行為の防止と利益相反への適切な対処について」の公表について、新聞報道では

「すでに海外の科学誌では『日本人の論文だから注意して読まないといけない』と
いわれている」。日本学術会議の大西隆会長は相次ぐ論文不正が与える影響をこう
指摘する。

とされていますが、

「すでに海外の科学者からは『日本人の業績の表現については注意しないといけない』と
いわれている」

ということになっていないことを願っています。

日本学術会議では、7月26日に「科学研究における健全性の向上に関する検討委員会」を設置したということです。そのきっかけが最近のいくつかの「研究不正」にあることは明らかですが、その一つに、元東大教授K氏の論文捏造に係る件も含まれているでしょう。K氏は、日本分子生物学会で、かつて、「研究倫理フォーラム」の講師を務めた当事者であったということです。同学会では、今年度の総会で「捏造問題フォーラム」を企画していて、そのための意見の交換を「日本の科学を考える」の掲示板で行っています。この中で、多くの意見が寄せられていますが、その中には、「日本学術会議の役割がよく分からない」とか、「日本学術会議の発言の歯切れの悪さ」といったことも散見されました。問題の性格上、匿名の記事が多いのですが、もちろん、実名で意見を述べておられる方もいらっしゃいます。真摯で建設的な意見が活発に交わされています。日本学術会議の会員の書き込みはなかったようですが、7月30日には、「科学者の行動規範」の改訂のことにも触れて、私も大きな関心をもっていることを書き込みました。

日本分子生物学会でK氏が「研究倫理フォーラム」で学会員に研究倫理を説いていたということですが、同氏がいまこうした形で指弾されるとは、当時は誰も予想しなかったのでしょう。上述の日本学術会議の検討委員会の委員は、審議結果の影響に鑑みて、自らの発表論文数といった表面的な情報だけでなく、研究内容等を公表するのがよいのではないでしょうか。決して、何らかの疑念を抱いているというわけではなく、むしろ、公職にある者は学術界や社会の関心事への積極的な情報の公開があったほうがよいのではないかと考えるからです。なにしろ、K氏のことがあったのですから。

現在、国内ではCiNii、国際的にはGoogle Scholar で学術論文を検索することは容易ですし、分野によっては、有償ですが Web of Science も活用されています。また、研究費の一部は、科研費データベースで知ることができます。たとえば、CiNiiで国内での研究刊行物がどの程度とりあげられているのかとか、Google Scholar で国際的な公表論文がどう扱われているのか等々、自らの研究歴をたどってみて、忘れていたことも思い出すことがあります。検索すればおおよそのことは分かるのですが、研究倫理に関わる議論にあたっては、研究の方法や組織、研究費の確保、利益相反の排除など、自ら公表しておく必要があるといえるでしょう。

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科学者倫理に思うこと」への2件のフィードバック

  1. 近藤滋 (@turingpattern)

    武市先生

    ガチ議論サイトを運営している阪大の近藤です。サイトへの書き込み、有難うございます。
    実は、お願いがあります。ガチ議論の本番である分子生物学会の年会(神戸12月3日)に来ては頂けないでしょうか?
    ガチ議論企画の趣旨その他は、年会のHPでご覧になれます。
    http://www.aeplan.co.jp/mbsj2013/planning_discussion.html
    一言で言うと、現場の研究者が、上の方の決定権限を持っている人たちと指しで話し合う機会を作ろう、という事です。
    先生の書き込みやブログを拝見させていただくと、おそらく、当日の議論に武市先生がいてくださることが、非常に重要であると感じます。
    大変お忙しいことは承知しておりますが、なにとぞご検討いただけますよう、お願い申し上げます。

    近藤滋

    返信
  2. takeichimasato

    近藤滋 先生
     コメントをいただき、ありがとうございます。「ガチ議論」サイトでは、いろいろと勉強させていただいています。科学者倫理、あるいは研究不正防止は、分野に固有の状況もあることを理解しつつも、科学者コミュニティ全体の課題として捉えるべきであると思います。
     さて、分子生物学会へのお誘いについては、当方の予定も調べて、あらためてメールでご連絡させていただきます。なお、先生のメールアドレスは、コメントを公開する際に削除させていただきました。
     ところで、「現場の研究者が、上の方の決定権限を持っている人たちと指しで話し合う」ということは理解できるのですが、「上の方の決定権限を持っている人たち」の存在を前提とするのがよいのでしょうか。私は学術会議の会員を務めていますが、それは「上の方」ではありません。1年半ほど副会長も務めましたが、会員の活動や科学者コミュニティの連携を図るという会務などを担当したのであって、会員の方々の上に立つものとは考えもしませんでした。もちろん、だれかが決定権限を持つことは必然でしょうが、こと研究に関する限り、専門分野のピアであって、上下の関係にあるものだとはいえないでしょう。
     決定権限の及ぶ範囲が問題なのかも知れません。競争的研究資金の配分はだれかが決定しなければいけませんが、決定に携わる人は利益誘導を行うことは厳格に(自主的に)禁止すべきですし、他の権限との関係についても、利益相反が生じないように、自ら判断すべきです。私もこれまでにこうした立場になったことはありますが、こうした点には気を配ってきたつもりです。最近、ある研究費配分機関の評議員の委嘱を受けましたが、その機関で行っている競争的資金の審査委員については辞任を申し出ました。評議員会ではそのプログラムの実施に関する議論を行う可能性があるからです。
     組織や団体の代表者は、往々にして、自らを権力者と誤解することがあるようですが、少なくとも、研究者の世界では、個々の決定すべき事項の範囲は明確に決められるでしょうから、「上の方の人たち」の存在を認める必要はないのではないでしょうか。
     現実から離れて、理想を述べているということは分かっています。しかし、「上の方の人たち」の指示によって不正が行われるという構図を見るにつけ、研究者が成長して行く過程で、自らを律することの難しさも理解しなければいけないのではないかと思います。

    返信

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