大学における「人材育成」

昨今、「人材育成」がよく話題になります。それだけ、難しいことだということでしょう。

大学でも、あるいは学界でも「人材育成」が議論されることは多いのですが、産業界や企業におけるものとは少し違うように思えます。大学や学問の世界で、「人材を育成する」ことはどういうことなのかと考えます。大学では、よく、「人材育成」という文脈で「教育」が議論されます。「大学教員は研究に力を注ぐあまり、教育がおろそかになっているのが問題だ」というのは、人材育成という課題にとって問題だといっているのでしょう。

「人材を育成する」というのは、どうも、上から目線といった感じがして、大学という場に適当なのかどうか、疑問に感じます。大学生は学問の途に入ってきた大人です。教員と学生が議論を戦わせて互いに自己研鑽を積むというのが本来の大学の姿だったわけです。いつの間にか、「教員が学生という芽を育てる」というのが当たり前になったようです。大学の大衆化ということでしょうか。

長年、大学にいると、ときに、「いい人材を育てることが使命だ」と言ったり、「多くの人材を育てましたね」と言われたりすることがあります。しかし、私の実感は、「いい人材が育つようにする」ことが使命であって、「多くの人材が育った」ことを喜ぶといったところです。

技能を身につける、スキルを磨く、といったところでは「育てる」教えが必要でしょう。英語力を高めたり、今では情報リテラシーを修得するといったことはこれにあたるでしょう。しかし、それらは英語学や情報科学といった学問体系を学ぶこととは違います。学問を学ぶことは、自らの見識でものごとを見る力を身につけることですから、一方的に教え込むようなものではないと思います。教員は学生の手助けをするに過ぎません。教員もそれによって学ぶわけです。

大学教育の中にも、もちろんそのようなコースも必要ですが、すべてをそのような向きに進めようとすることは疑問です。産業界からの要請もあって、大学院課程で実践的なコースを試行するプログラムがいくつか行われています。そこでは、カリキュラムに基づいて教材が開発され、それにしたがった特定の講義と実習だけで修了できるようにしている大学もあります。形にはめてしまえば人材が育つのかどうか?一定数の修了生は出るでしょうが、体系的な知識と技術とともに、見識を身につけた人材が育つのかどうか?「教え込む」ことを過信しないのがよいと思います。

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